〜自分を犠牲にして我慢していると〜

… こんな文面に出会った。
「自分を犠牲にして我慢をしていると、その人のことを嫌いになってしまう」のだそうだ。



最後に残るのは「怒りだけ」だとも記されていた。



親子、友人、恋愛eat、どんな人間関係においてもそうらしいですね。



これを書いた方は心理カウンセラーなんだけれど、本当にそのとうりだと思った。



自分を犠牲にして、我慢して得るものが怒りだけなんて悲し過ぎる。



相手に対する思いやりの気持ちや、相手をたててあげる気遣いから選んだ「我慢」であっても …悲しいばかりだと思った。



きっと最後には、我慢する道を選択した自分自身にさえ怒りの感情が湧くのだろう?
それはまるで負のスパイラルだ。


実はこのところ、この怒りは何なのだろう?とずっと考えていた。(レメディの反応として噴出してきた感情)



… このカウンセラーの文面を読んで腑に落ちた気がした。
そういうことだったのだ …と。


人間関係では我慢することは付き物だけど、時には我慢が相手を助長させるパターンもあるから、その見極めも難しいですね。



… どこかで読んだ記憶がありますが、その先が見える(希望)我慢は我慢ではなく辛抱で、いやなことをイヤイヤ堪えているのが我慢だそうな?



(辛抱は苦痛ではなく、我慢は苦痛を伴うってかんじみたいですね)