〜「気持ちを伝える」〜

セントーリー(レメディ)35日目。
もう気に留めることじゃないのに、いつまでも囚われていて、そこから抜けきれない癖のお陰で随分と我慢していたようだ。



以前ここに書いたけれど、「その人の痛みがわかるから、だから言えない」って …



その人って誰のことなのか、やっとわかった。
「母」だった。
母の心の痛みがわかるから、私は母に「右習え」で黙っていたのだとわってわかってしまった。



… 母はよく父のことを、「話し合いの出来ない人だ」と言っていた。
たしかに私から見ても、そうだと思う。



誰の意見も取り入れず、全て自分の意のままに事を進めたがる。 意見を言っても全て却下。
だから誰も何も言おうとしなくなる。
それもまた助長させることになるのだが。
全てにおいてそうなので、母は相当ストレスだっただろうと思う。


それを目の当たりにしてきた私たち(姉妹)は、やはり父に対して物申すことなど出来ず、母に右習えでジッと我慢だった。



父の顔色を窺い、父の機嫌が悪くならないように振る舞うしかなかったのが悔しいところだ。



父に自分の気持ちを伝えることなど、母も姉も私も誰もしてこなかった。
いや、したくても出来なかった。


自分の素直な気持ちを伝えるという機会を逃してきた。
気持ちを伝えるという大事な訓練を、家庭内で出来ずに大人になってしまった。



後にコレが、人との付き合い方に相当なダメージを与えることになった。



自分の気持ちを伝えることが出来る人って、恐らく家庭内(幼少期から)で上手に訓練が出来ていたのだと思う(親子の間で)。



学べる時期に学ぶ機会を逃し、訓練をしてこなかった(出来なかった?)のは、相当なダメージだと個人的に痛感することになりました。



自分の気持ちを相手に伝える。 たったそれだけのことなのに、まるで清水の舞台から飛び降りるような気持ちになってしまう。
勇気が出ない。



相手の気持ちを考え過ぎてしまうのは、かつて父の顔色を窺っていたのと同じようなこと。



もう父の顔色を窺うことなんかしなくていい。
そこに囚われなくていい。
もう母を庇うこともしなくていい。
結局ソコに辿り着いた。